『神との対話』は、若い頃のわたしにとっての人生のバイブル的一冊。26歳のわたしは、この本と出会い、衝撃を受けました。興味深いことがたくさん書いてあるこの本を持ち歩いていたほどです。そして、ことあるごとに、本を開いていました。
ある日、著者ニールに、突然神が語りはじめたのです‼︎
神ですよ⁈
どうやってそれが神と分かるのでしょう。神と対話する人は、もっとこう信仰心があついとか、修業をしているとか……。ニールは、うまくいかない人生にただただ困りはてているような人でした。
その彼が、神と対話した⁈
内容は、ニールと神とのやりとりを本にしたものです。と聞いて、どう感じますか?
神が語ってきた?
神とやりとりした?
ウソだと思いますか?
わたしは、はじめそう思いました。ニールが、神と対話をしているという思い込み、妄想のやりとりでしょうって。
ところが、読み始めてすぐに、そうではないと感じました。
会話は、主に、ニールが神に質問をして、神が答えるという流れ。
ニールは、とってもいい質問をするのです。そうそう、それそれ、わたしも知りたい‼︎そうなの、それよ、どうしたらいいわけ?という、わたしも、みんなも知りたいであろうナイスな質問を神さまにぶつけます。
だから、どの章も興味深く読むことができると思います。
なにより神の答えが、すごい‼︎
最初は、ニールの妄想やりとりなんじゃないの?と怪しんでいたわたしですが、質問に対する神の答えを読んで、普通こういう答えはでないよねというものばかり。
ニールの自作自演だとしたら、それはそれですごい‼︎ もし、そうならニールは神だ。
でも、こんな答えを知っていたとしたら、ニールは、本の冒頭に書いてあるような不幸な人生を、送っていないはずだよねって思ったのです。
これはきっと、ニールを通して、世界中の人の質問に、神さまが答えたのでしょう。
この記事を書くために、久しぶりに目次に目を通してみました。
第12章に、蛍光ペンで線が引いてあります。
「ほんとにしたいことを、どんどんしなさい! ほかのことをしてはいけない。もうあまり時間はない。生活のためにしたくもないことをして、人生の時間をむだにしようなどとどうして考えるのか?」
26歳のわたしが引いたのでしょう。あの頃のわたしが、今のわたしに読んで欲しがっているようです。
人生に迷ったり、いろいろな問題や悩みを抱えている人には、人生のヒントになることが、たくさん書かれています。
悩みや問題がない人は、さらに自分の生き方が進化するきっかけになる一冊になることでしょう。