メメント・モリ

わたしは2011年まで横浜に住んでいたのですが、当時は関西や四国、山陰地方などを、遠くに感じていました。ましてや、高野山というのはとても遠い、遥か山奥のようなものだと思っていたものです。

しかし大阪に引っ越して、しかも子どもが和歌山県橋本市にある学校に通い始めたら、高野山はものすごく身近な場所となりました。

子どもの学校から高野山の奥の院まで、山道ルートを使うと車で30分くらいなので、学校の行事の前後にサッと立ち寄ることができるのです。

とはいえ、さっくり帰るのはもったいないので、宿坊に泊まって夜に参拝をしたり、朝の勤行をしたり、大師教会でご授戒を受けたり、お写経したりして過ごすことが理想的なのですが……そのあたりは別でも書いたので、お読みください。

ここ何年かは、運動会の前日に高野山を堪能して、宿坊に泊まり、朝の勤行と朝食が済んだら、出発して学校へ……というルートがお気に入りでした。

 

初めて高野山を訪れた時は、奥の院の参道に立ち並ぶ、お墓の数に圧倒されました。見渡す限りのお墓の参道。宿坊で「有名武将のお墓マップ」が100円で売られていたので、それを片手に、お気に入りの武将のお墓参りをしたものです。

 

その夜のこと。

宿坊に泊まる初体験です。初めての宿坊は、昔ながらの隣の部屋と襖一枚で隔てられているだけど、話し声も、くしゃみもつつぬけです。起きていても、息をひそめるばかりですから、その夜は早々に床につきました。

しかし、その晩はオールナイトで、やけに鮮明でリアルな夢を見ることになったのです!!

それは「ありとあらゆる死に様」の夢!!

病気で死ぬ。槍で刺されて死ぬ。刀で斬られて死ぬ。銃に撃たれて死ぬ。殴られて死ぬ。

蹴られて死ぬ。高所から落ちて死ぬ。水に溺れて死ぬ。流されて死ぬ。挟まれて死ぬ。

埋められて死ぬ。物が落ちて死ぬ。食べ物に当たって死ぬ。毒を盛られて死ぬ。

飢えて死ぬ。寒くて死ぬ。暑くて死ぬ。腹の上で死ぬ。噛まれて死ぬ。首を吊って死ぬ。

腹を切って死ぬ。首を切られて死ぬ。ショックで死ぬ……。

あまりにリアルな「死に様」に、何度も何度もガバッと跳ね起きました。動悸が激しく脈打ち、じっとりと嫌な汗をかき、暗闇のなかで深く呼吸をして、気持ちを落ち着かせて再び眠ると、また別のレパートリーが上演される……というくり返しです。

さすが、死のメッカ。

奥の院にある、地上と地中の合計40万基のお墓と、それだけの人々のありとあらゆる死の記憶……それがこの土地には、宿っているのだなあと、つくづく感じたと同時に、人間というものは、実にいろいろな死に方をするのだということを、改めてまざまざと体験した夜でした。

老衰で自宅の布団の中で死ぬ……というのが、どんなに貴重で、ありがたいことなのかということも。

かつて佐賀鍋島藩の武士たち……いわゆる葉隠武士たちは、毎朝床についたまま、たっぷりと、ありとあらゆるレパートリーでの死を体験するという、いわゆるイメージ・トレーニングをしてから、起きたのだと言います。そうすることで起きたときは「もう死んでいる」ため、死を恐れることなく過ごせるようになるとか、ならないとか……。

わたしはそんなことをするつもりは毛頭なかったけれど、強制的に一晩かけて、それをさせられたような体験でした。ちなみに、そんな夢を見たのは、一緒に泊まった家族の中でも、わたしだけです。

それから後は、高野山に何度泊まっても、同じような夢を見ることはないので、初来訪記念のイニシエーションだったのかもしれません。

ありがとう、空海さま
(ということに、しておきます)

こうして書いている今も、あの夢の断片を思い出すことができます。そして、死を思うたびに、わたしは「ちゃんと生きなきゃいけないな」と思うのでした。

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