ちゃんと生きるということ

ちゃんと生きるということ

これは以前、ブログにも書いたのですが、わたしにとって、とても大事な物語なので、こちらでもシェアしておきたいと思います。

前置きしておきますと、とても個人的な体験であり、すこしファンタジーです。
わたしの人生、ファンタジーだらけなので、ご了承ください(笑)

冬の終わりになると思い出す、2011年3月11日。

あの大震災のとき、わたしは横浜にいて、すこし怖い思いをしたけれど、家も家族も無事で、たいした被害はありませんでした。

しかし、東北地方を中心とした大きな被害があったのは、みなさんもご存知の通り。

余震の続く3月、4月、5月……と、その合間に震災と津波で亡くなった大勢の人たちが日本中のそこかしこを行き交い、何人もの人たちが、わたしのところへやってきました。

「あの人に、わたしはここだと伝えてほしい」

「自分はもうここを去るけど、あの人に自分の代わりに元気に生きてほしいと伝えて」

「子どもを残して立ち去らなくてはいけないことが、心配で心配でたまらない」

「あの子をずっと探しているけれど見つからない。あの子を知りませんか?」

伝えてほしいと頼まれたこと、あるいは独り言のように繰り返していることを、わたしは毎日できる限り、書き留めたものの、しかし、どこの誰から誰への伝言なのかはわかりません。

仕方ないので、ある程度まとまったら、それを震災供養の法要をしているお寺へ持っていって、お焚き上げしてもらう……ということを日々やっていました。

それは2011年の夏の終わり頃まで続き、あの数か月のあいだ、日本中が不安の渦に包まれる最中に、わたしは個人的にいまここを流れている時間と、ここではないどこかとの両方を同時に体験しながら生きているような、濃密で不思議な日々を過ごしていました。

それから3年経った2014年に、ご縁をいただいて、陸前高田市で占星術の講座をやらせてもらうことになりました。

わたしとしてはこれはもう採算とか関係なく、やらせてもらえるものなら、なんとしてでも行きたいという気持ちです。

その前後には被災された各地をめぐって、そこで起きたことを見ることで、わたしのところへやってきた人たちを理解をしたいという思いもあったのかもしれません。

街が津波に呑み込まれた土地は、静かに静かに、新しい道を切り拓こうとしていました。
胸が張り裂けるような思いもたくさん味わい、自然の恐ろしさを改めて実感しました。

夜は陸前高田市に宿をとりました。そこは高台で営業再開したところで、新しい建物のそこかしこに、生きている人とは異なる人たちの佇んだり、歩いたりする気配や、ささやき声が濃厚に感じられました。

純朴でおだやかなその気配に不快さは微塵もなく、やさしくもあり、わたしは彼らの気配と共に濃密に空間を分かち合うように寛いでいました。

夜に食堂で夕食をとっていると、彼らが耳元でささやく声がはっきりと聞こえました。

「いいね」

「ごはん、食べられるの、いいね」

「ちゃんと食べて、ちゃんと生きてね」

「わたしの分まで、ちゃんと生きてね」

他の人たちが談笑している食堂のなかで、わたしひとりだけが胸がいっぱいになって、彼らがささやくたびに「うん」「うん」と頷きながら、ごはんを残さずに全部食べて、それからお風呂に入って、泣きました。

「泣けて、いいね」

「泣けるのって、いいね」

「ちゃんと泣いて、ちゃんと生きてね」

「あなたの命を、ちゃんと生きてね」

わたしは、ちゃんと生きることができているのだろうか。

そのことを忘れたくなくて、いまひとたび、記事として、まとめ直してみました。

誰に対しても、やさしくありたい。

わたしの命をちゃんと生きたい。

丁寧に生きたい。

地球に、宇宙に、満ち満ちている愛が、すべての人たちのもとに、やさしく降り注ぎますように。

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