わたしたちの楽しみでドキドキのチャレンジ「友達の輪」へようこそ!
「普通の毎日を生きる面白い人たち」をクローズアップして、その生き様をご紹介させていただきます。そして、その人から、また別の方へ……ざまざまな個性と魅力に富んだ方々と出会えることを楽しみにしています。
第4回目のゲストは、黒木康太さん!!
羽賀浩規さんからのご紹介です。
黒木康太さんは、カメラマンで、京都の東寺の北側に『京町家おとなり』ていうギャラリーを持っているんです。
宮崎県・西米良(にしめら)の出身なんですよ。月の半分くらい宮崎で仕事して、宮崎と京都と行ったり来たりしながら活動されている方です。
ウエットな写真を撮る方で。どうも経歴聞くと、もともとレントゲン技師なんですよ。
自分の好きな写真を撮られる方で、ご縁をとても大事にしている上に、ご縁の活かし方が、すごくナチュラルだと思うんです。すごく素敵な方なんです。

いま、なにをしているのかを教えてください

ギャラリーの運営をしています。
家は京都にあります。広い築100年くらいたっている町屋なんですけど、たまたま借りることができたので。
すごく広いんですけど、そのスペースを使って、知り合いのツテで作家さんや料理人の方に来ていただいて、ワンデイ・イベントをやったり、週単位で借りてもらってイベントを開催してもらったりしているという感じです。
作家さんと一緒に展示をさせてもらっています

何年前から?

1年前からです

やってみて、どうですか?

一番は、自分が楽しいということですね。
地元が宮崎なので、京都に引っ越して今5年目なんですが、イベントをやりだしたのが1年前で。イベントをやらせてもらうことで地元の人や、全然関係のない地域の人と接点ができて、知り合いが広がっていってる感じです

人との出会いが大きいんですかね

ひとつやるたびに、ひとつ以上なにかが増えていって、少しずつですけど広まっていっている感じですかね

どんな写真を撮られるんですか?

今は家族写真だったり、作家さんがされているものの写真だったり、宮崎の農家さんの写真だったり。
頑張っている農家さんがたくさんいらっしゃるんですけど、その方が独自で販売ルートを開拓しようというときに、デザイナーさんを通じて自分に依頼してもらうことが多いです

それはホームページとか?

ホームページとかチラシとか展示即売会のときのポップだったりとか

宮崎と京都を行ったり来たりして、撮影したり、イベントを開催したりされているってことですね?

そうです。主にそんなかんじです

黒木さんが大事にしていることってなんですか?

自分と接してもらっている人と、自分が楽しいかというところ

どちらも楽しいってことが大事なんですね

特にあんまり分けている意識はないですね。
仕事とか人生とかプライベートとか全部一緒くたになっている感じで

どんなときに楽しいと思いますか?

答えになってないかもしれないですけど、関わってくれる人が楽しそうで、自分が楽しいときでしょうか。
なんでそれが楽しいのかと聴かれたら、なんで楽しいって思うんだろう。
自分ひとりが楽しくても楽しくないし、相乗効果で楽しいことが広がると、本当の意味で楽しいと思えるので、誰かとなにかを共有するというのがポイントかもしれないです

羽賀さんと似てますね

それは嬉しいです

羽賀さんが黒木さんのことを『ご縁を大切にされる方で、ご縁の活かし方がすごい素敵だ』とおっしゃっていたんです。自然にご縁を活かしている姿が素敵なのと、撮る写真が好きだとおっしゃっていました。ウェットな写真を撮る方でそれがとても好きだと

そうですか、それは嬉しいです。確かにウェットだと思います

やっぱり心の状態とか写真に出ますか?

すごく出ると思います

きっとウェットな方なんですね

それはわからないですが、ウェットだとは思います。あ、水が大好きです

そうなんですね。例えば水が好きってどういう感じですか? 海とか?

全部ですね。飲む水もだし、温泉もだし、海に入ったりだとか、お風呂もだし、シャワーも大好きです。蛇口から出てくる水を見たり触ったりするのも好きです。
京都が水っぽいので、京都の人にいい意味でなんですけど『ウェットだよね』て言うと、実際に湿度も高いし、地下水や京都の街全体の貯水量が多いらしくて、それがいろいろなものの媒体になっているんじゃないか、という人もいらっしゃいます。
鴨川が街のなかに縦断するように流れていて、自分はそれも好きで。京都にいるといろんな意味で面白いんですけど、そのひとつのキーワードが水だと思うこともあります

海は泳ぐ?

ぼーっとしてます。ただ海に浮いているだけです

人生のターニングポイントは?

30歳まで病院で働いていたんですよ。サラリーマンで、定住して働いていたんです。
それを30歳くらいのときに辞めたんですよ

病院ではなにをされていたんですか?

放射線技師です。レントゲン写真を撮っていました。
救急病院だったんですよ。なので24時間、昼夜問わず患者さんが来られていたので、わりとしょっちゅう呼ばれたり、当直があったり、待機したりがあったので、20代はほぼ病院の半径2キロ圏内で過ごしていました。
楽しい時期もあったんですが、20代後半になるとちょっと窮屈に感じるようになってきて、辞めました。辞めた反動で、いろんなことをするようになりました

例えば?

職業が変わって、住む場所が変わって、行動エリアが変わって、人間関係が変わって、職業とか、住む場所とかお金の価値観も変わってきたんですけど、前はお金に関して、無頓着。今も無頓着なんですけど、サラリーマンをやっていると決まった日にお給料が入ってくるので、簡単にいうとお金に困っていなかったんで、あんまり意識していなかったというか、あって当然のものだったんです。
だからそういう今まであって当然のものがなくなることが新鮮で、そしたら価値観が変わってくるじゃないですか。
環境が変わって、お金が変わって、選ぶものが変わって、そしたらまったく違うところにいるというか。
同じ宮崎市内にいても会う人が変わると世界が変わって、食べるものが変わって、生活リズムが変わって、それはすごい新鮮でした。
今までないと思っていた世界があるんだっていうのが、楽しかったですね

おもしろいですね

20代の後半の方は、結婚していたんですが、病院を辞めると同時に離婚したので、環境という意味ではいろいろ変わりました

すごい変わりましたね

はい

ここが人生のターニングポイントですか?

毎年ターニングポイントというか転換期はくるんですけど、そこが転換期の始まりだったような気がします

カメラマンになるまでには何があったんですか?

とりあえず独立してみたかったんですよ。
病院ってガチガチの現場なので、ルールが一番大事。もちろん患者さんの命も大事だけど、それを守るためのルールがあって。優先順位的には患者さんの命を守るためのルールだけど、現場ではどっちかっていうとルールを守ることがルールみたいなところがあって。
わりと自分は会社で働ける人間だと思っていたんですが、意外とアレンジしたくなるんですよ。こうした方がいいんじゃないかとか、こうしたらもっとよくなるのにとか。
個人でできるレベルではやるんですけど、それがルールをやぶるレベルでもやりたくなるので、そしたらもうそこにいる価値が自分で見出せない。
じゃあ、もっと外に出たほうが平和的解決だなと思い、自分でやってみようと独立するという目標がひとつ、最初にできて。
そしてたまたま結婚していた人がデザイナーさんだったので、独立できる職業って、デザイナーなんだと思って……安直な感じなんですけど。
ちょうど30歳くらいだったので、その方の友達とも遊ぶ機会が増えて、ちょうどその人たちが独立する時期だったんですよ。宮崎だったんですけど。
あとは作家さんや職人さんといった、今までの人生にはいなかった友達が急に増えて。それまでは病院の現場や公務員だとか、そういう人たちが多かったんです。友達に。だから会話も予定調和のなかで成り立ってたんです。常識の範囲内。
それをことごとく、ぶち破ってくれる友達ができて、こういう人が世界に生きているんだって、びっくりしました。
いま考えると当たり前のことなんだけど、違うところにいたから、まったく気付かなかった人たちがいっぱいいて、ほんとにいい刺激をもらいました

カメラを選んだ理由は?

そこからデザイナーになろうと思ったんですけど、なれなかったんですよ

デザイナーになろうとしたんですね?

はい。宮崎の職業訓練校なんですけど。ちょうど震災が起きた年くらいだったかな。そのときに、東京でバリバリやっていたデザイナーさんとかが宮崎に移住者が増えたんですよ。
その方たちが先生として、実力のある方が職業訓練校でデザイナーを育てるということをやっていたんですけど。結構な実力者たちだったので、わりと卒業して独立するデザイナーとか知り合いにも出てきたんです。
そこへ行けばデザイナーになれると思っていたんですけど、職業訓練校に2回、3回だったかな? 落ちたんですよ。
放射線技師の免許があったから、職業訓練校の趣旨と違うというか、働けない人を促進する目的だったので、いくら熱意を伝えても弾かれるようになっていたんですね。
そうこうしているうちに貯金もなくなって、とりあえずバイトをしなきゃと思い、どうせだったらとデザイン事務所を何個か受けてみたんですけど、そんないきなり、いままで病院で働いていた30歳を雇ってくれるようなところはなくて。
そうしたらデザイナー会社がやっている写真スタジオのアシスタントを募集していたんですよ。なのでアシスタントから、なんとかこう入りこんでいって、そこであわよくばデザイナーに……と思っていたんです。
ちょうど1年くらいカメラマンのアシスタントをしていたんですが、写真スタジオが赤字で、事務所が写真スタジオを閉めるという話になったんですよ。雇われていたカメラマンたちはそこの事務所に引き上げられるか、やめるかのどっちかで。
社長と面談があって、どうしますかという話になったんですが、スタジオをやめるんだったら、もらえませんか?と話してみたんです。
もともと独立したかったので、事務所に入ってデザイナーという道も考えたんですが、そもそもデザイナーは独立するためのツールだったので、もしうまくいけば、このタイミングで独立できるな……と。
そしたらオッケーと言ってくれたので、場所と撮影の機材とお客さんを翌月からいただけて、それで独立できたんですよ。ラッキーだった(笑)

すごいラッキー(笑)
カメラが面白くなったんですか?

そうですね、デザイナーになろうと思った理由も、独立できるっていう職種で、さきほど話したユニークな人たちと関われるというところが大きくて。
自分がデザインすることでハッピーになって、食べていくこともできて、もともとなにか作ることが小っちゃい頃から好きだったんですよ。なので自分が好きなことをやれて、依頼主が喜んでくれて、それを買ってくれるユーザーも喜んでくれたら、みんな嬉しいという話なんですけど。
それがカメラになったとしても同じことができるなと思ったので、そんなにその差はなかったです

もともとの意図が『みんなハッピーである』

カメラも今もそうなんですけど。人と関わるコミュニケーションツールのひとつだなとすごく実感しています

そこから京都なんですか?

そこで5年くらいうまいことさせてもらったんですけど。その後にスタジオやめて、京都ですね

それは何か、きっかけが?

もともと、物心ついた頃から関西に行きたかったんですよ。小っちゃい頃からですね。
出身は宮崎の西米良なんですけど。わりとコミュニティが小さいんです。人口1,200人ぐらいの村なので。
冬の時期とか山が高すぎるので10時頃に日が昇って、15時頃には日が沈むんですよ

そんなに? そんなに短い?

はい、日照時間が極端に少ないんですよ。自分がウェットなので、こういうウェットなところにいると、結構マイナスな方に引っ張られるんです。
それがちょっとしんどくて、真逆を探したら関西だったんだと思うんですが、そのときは何も考えてない、シンパシーを感じたというか。
関西がビビッときたというか、いま思うとそんな感じだったのかもしれないですね

インスピレーションだけで京都に行こうという感じだったんですか?

そうですね。高校卒業して大学受験のときと、大学卒業して就職の試験のときと、関西に行くタイミングはあったんですけど、見事にうまくいかなくて、結局、宮崎の病院に就職したので。
年々、自由になれる気がしたので、関西に行こうと思ったタイミングと、スタジオの経営がうまくいかなくなるタイミングが一緒だったとき、せっかくだと、ようやく行けました

京都に行くために、うまくいかなくなるようになっていたんですね

今の家に住んでもうすぐ2年ですね

おとなり、という名前の由来は?

なかなか名前が決められなくて。
最初のイベントは、お米がやりたかったんです。せっかく日本家屋なので。キッチンがすごく立派なんですよ。自分が食べることや、食べ物の写真を撮ることが好きなんですけど。
お米をメインにしたイベントがやりたくて、やっと決まったんですけど、日にちも決まったのに、名前が決まってなかったんです。
Googleマップ登録したりとか、DMを作るところの直前まではいっているんだけど、名前がいかんせん決まっていないので、そこから先が進まない。
DMを友達に作ってもらっていたんですが、その友達が宮崎の日南で『kitchen TONARI』をやっている夫婦なんです。もともと関東と愛知のカップルなんですが、オーストラリアで出会い、そこから宮崎に引っ越して『kitchen TONARI』っていう定食屋さんを始められたんですね。
『kitchen TONARI』の奥さんがデザインをされていて、旦那さんがイラストを描いたりするんですよ。内装もやっていたりするんですけど。その2人にDMを作ってもらっていて。
お米のイベントは、おむすびのイベントになったんですよ。おむすびを突如2人に、握ってもらおうということになって。
飛び入りで2人に振る舞いのおむすびを握ってもらうために、宮崎の日南から京都まで車でみんなで移動して、イベントの初日にひたすら握ってもらったんですけど。
そういう流れの途中でDMも作ってもらっていて、名前が決まらなくてどうしようといったら、その奥さんが『kitchen TONARIからの、おとなりでいいんじゃない』って。それをちょっといただいた感じです。
でも、それだけじゃちょっと、適当だな……と思って、東京のカメラマンの友達にも相談していたんですよ。名前なんかいいのないかなって。そのときに出てきた、ひとつが『おとなり』だったんですよ

えーすごい!
たまたま?

はい。いいかなーと思ってたんですが、決定までは至っていなかったんですね。でも、イベントの経緯でそういう話が出たので、じゃあ、それでいいやってなりました

なかなか、このシンクロないですよね

そうですね、わりと自分はそれが日常の感じになっているので

そういう感じに生きているってことですね

はい。京都の家もすごくいい状態で。宮崎のスタジオもそういう風にいただいたんですけど。
京都の家も前に住んでいた作家さんから、なんというか、なにもしなくていい状態で整えられたものをいただいたというか、すごい格安で借りられたんですよ

ちょっと話戻っていいですか?
宮崎のスタジオはタダでもらったんですか?

ほぼ、タダ状態です。機材代とスタジオ代と、すっごいかっこいいスタジオだったんですよ。たぶん相当お金をかけて改装したんですよ。そこを☆☆円で、機材込み

最高!!

営業とかが苦手なんで、独立するとき、そこが懸念事項だったのですが、お客さんもいただけたので

すごい!!

だから羽賀さんに言っていただいたように、縁をつなぐというのを最初はたぶん、意識してやっていたんですよ。今はもうあんまり意識していないんですけど。
全部いただきものから始まっているので、それを独り占めするだけの度胸はないので。もらったものは、みんなで使ったらいいじゃんという感じです。
それとひとりで全部はできないんですよ。今は広いスペースを使わせてもらっているんですが、自分ひとりでは使いこなせないので、知り合いに声をかけたら、やってくれるという方がいて。
知り合いの写真家さんが、おむすびの本を出していたんです。当時の京都で数少ない友達のひとりだったんですけど、自分は食べ物とおむすびが好きなので、さきほども言いましたが、お米のイベントをやりたいなって、ずっと思っていて。
半年経ってもイベントができないから、ちょっと焦ってたんです。場をうまく使えていない、せっかく譲り受けたのにって。
本屋さんでおむすびの本を見たときに、やっと見つけた、というのと、自分がやりたかったことを、すでに他の人がやっていると悲しさとがありつつ、でもそれがたまたま知り合いの写真家さんだったので、すぐに声をかけて、本になっている写真の、写真展をやってくれないかと。
自分も写真を撮っているんですが、別に自分じゃなくても他にいい写真撮る人がいたら、それでいいじゃんって、あんまりそこはこだわりがなくて。
逆もありますよ、もちろん。どうでもいい写真を撮っている人が、中途半端に撮っているくらいだったら、自分が撮った方がいいよって、いきますけど(笑)
それで、おむすびの写真展をしたんですけど、それは写真家さんが、長野の料理家さんと一緒に作った本だったんです。なのでイベントに料理家さんが長野からわざわざ来て、ワークショップをしてくれたんです。
その料理家さんが監修した羽釜でお米を炊いて、みんなで美味しいおむすびを握るというワークショップ。
そして写真展に展示された写真のひとつが、前回こちらで僕を紹介してくれた羽賀さんだったんです。羽賀さんの握るおむすびの写真があったんですね。おいしいおむすびを握れる方を取材するという本だったんですよ。おむすびの握り方という本です。
そこでうちに羽賀さんが写真展を見にきてくれたんです。それで羽賀さんに知り合えて、さらに羽賀さんが坐禅会をしてくれたんです。
そのお客さんのうちの1人が、落語家さんの知り合いの知り合いで、今度は落語家さんを紹介してくれて。13年くらい前に落語に興味を持っていたんですけど、13年越しに落語家さんに会えて、それからうちで落語会を年に2回開いてもらっています

すごーい! 年に2回

だから『キッチンとなり』から『おとなり』をもらって、おむすびのイベントに料理家さんが来てくれて、羽賀さんが来てくれて、そのご縁が落語家さんまで繋いでくれて……というのは一部なんですけど。
そういうご縁がいっぱい広がって、いま、いろいろな人たちに来ていただいているのですが、そのメインのひとつがそれです

すてきー!! おもしろい!
このひとつの話だけで黒木さんが分かりますね

ありがとうございます。そんな感じです

すごく素敵なお話を聴かせてもらいました。
宮崎によく来てるんでしょ?

2020年は羽賀さんに来てもらって、羽賀さんの坐禅会を海でやろうという話になっているんです。
今の家は、ともみちゃん(第二回目のゲスト)の知り合いがもともと借りていたんですよ。それを紹介してくれたのがともみちゃんで。
京都にいるのに、わりと宮崎の人と繋がっています

次にご紹介してくださる方は?

堀江美佳さんです。美佳さんのことは、ちょっとやそっとじゃ語れない。とても魅力的でまっすぐな方。
写真家さんだけど、そもそも一般的に想像されるような写真家さんとは、表現(写真)との向き合い方もその手法も一線を画しています。
ただ、その肩書よりもなによりまず、存在がすごい。私の会ってきた方々の中でもとても稀有な人。しなやかさとその芯の有様。自分自身を生きている感がある。
兼ね備えたバランス感はとってもとっても尊敬しています。
現実と夢、冷静と情熱、直感性と論理性、などなど、極の使い方のセンスが素晴らしい方です

次回は、写真家さんの堀江美佳さんです‼︎
黒木さん、どうもありがとうございました。