もののけ姫と犬神人

先日、映画館でジブリ映画がリバイバルされていたので早速「もののけ姫」を観に出かけました。

ジブリ映画の中でも大好きなタイトルです。

私はそもそも蝦夷の故郷で生まれているので主人公のアシタカに親近感 (笑)

そして私の好きな室町時代が舞台であり、太古の森が美しく、昔の姿のままで生きている動物たちがわくわくさせてくれるのはもちろんのこと、タタラ場や流浪の民、天子の直属機関、異形の者や穢れを持つ非定住民が描かれているところが大きな魅力です。

ほとんど一般の定住民たちが出てこない物語ですが、非定住の者たちは非人であり、天子から直接、存在を保障された「無縁の輩」でもありました。

私が、この日本の中世における特定の職能あるいは芸能民たちに興味を持つようになったのは、いまから10年以上前のことです。

 

あるとき、京都を旅していました。

東山の清水寺から祇園神社へ抜けて、その後さらに北上して下鴨神社から上賀茂神社の方へ行くコースだったと記憶しています。

清水寺への道は混んでいたので、坂の下でバスを降りて、歩いて坂を登っていきました。

その違和感は、坂を登っている途中から始まりました。

この道を知っている気がする。

何度も清水へは来ているのですが、その「知っている」ではなく、現在の舗装されたきれいな道ではなく、もっと薄汚れた、埃っぽい光景を知っている気がするのです。

その道の両脇にはぐったりとうなだれて、生きているのか、死んでいるのか、わからない人々の山が。

身体が腐っていく嫌な臭いさえ、するような気がしました。

清水寺はこれまでも何度も来てますが、こんな体験は初めてです。

今、見えている風景にオーバーラップするように、遥か昔の風景の記憶が重なって見えるのです。

清水の舞台に立ったとき「ここから大勢の人たちを投げ捨てたな…」という、なんとも奇妙な記憶がよみがえりました。

いったい、誰が、いつ!?

なんの記憶かわからないけれど、江戸時代より、もっと前の時代に疫病が流行って大勢の人たちが亡くなったとき、埋葬が追いつかず、ここから投げ捨てた遺体が山のように積もっていたな…という記憶とビジョンが見えました。

これは、誰の記憶なのか?

私の過去生か?

謎の記憶とオーバーラップは清水から祇園へ抜ける頃にはなくなりました。

トリガーは清水だったようですが、なんだったのか意味がわからず、その後に旅しているうちは、忘れてしまいました。

しかし、その夜。
夢を見ました。

犬神人

夢のなかの私はゴツイおやじで、僧形をしています。

ぼろぼろの古びた装束をまとい、白い布で頭と顔を覆っていました。

そして朝晩に経をあげ、昼は道々に死んでいる人々の遺体を河原で埋葬していました。

いくら神仏に祈っても、人々は次々と死んでいきます。

疫病で死に、飢えて死に、戦いに巻き込まれて死んでいく。

本当に仏はいるのか?
人々に救いはないのか?

ほんの幼い少女までが、流行り病で簡単に死んでいき、その遺体を抱き上げて、全身を震わせて慟哭をあげていました。

この地上に救いはないのか?
人はなぜ、こんなにも簡単に死にゆくのか?

「思い出せ!」

慟哭する男の頭上から、激しい声が降ってきました。そして

犬 神 人

という文字が、どーん!と目の前に出てきたところで、目が覚めました。

腕に抱えた小さな女の子の重さが、まだ残っているようなリアルな夢。

いぬじにん、となぜか、その不思議な言葉の読み方がわかりました。

そして、記憶が情報となってよみがえったのです。

清水寺に仕える犬神人は、街や参道や境内で亡くなった人たちを弔い、浄める、穢れを浄化する専門職。

朝晩に読経をあげて、昼は埋葬し、そして地上に仏の救いを求めて嘆き続ける人生。

それが私の過去生だったのか、たまたま清水でその記憶に触れただけなのかは今でもわかりません。

しかし全身に深く刻印された、世の中に対する無念の思いが、私を中世史への興味を掻き立てました。

 

もののけ姫に出てくる 石火矢衆はおそらく、犬神人がモデルじゃないか?と思われます。

犬神人の装束とそっくりなのです。

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